概念とは、KusaReMKN が「みかんちゃん」と呼ばれる空想上のキャラクターを編み出し、それに様々な意味合いを付与していった結果想像されたキャラクター群です。 今回は、KusaReMKN にその存在について尋ねます。 私達が「概念」を考案する上で、何を大事にするべきなのかを知りましょう。
概念の本質的な在り方を知る
本日は、インタビューをお受けいただきありがとうございます。 早速ですが、概念とは簡単にいうとどういったものなのでしょうか。
はい、その質問についてみかんちゃんたち[1]を代表して外の人[2]がお答えします。
まず、みかんちゃんの教えの中では概念則ちみかんちゃんであると説かれています。 依然ふわふわした怪しい宗教ですが、それだけは決して揺るがないようです。
また、もともと Twitter 上で言及されていたみかんちゃん概念(つまり 2021-05-21 の不法投棄のもの)はみかんちゃんの「インスタンスの一つ」といった意味を多分に含んでいました。 それまでのみかんちゃんは「おはようじょ」するためだけに作られた存在として扱われており、それ以上でもそれ以下でもなかったため、みかんちゃんの解像度を上げるためにとても有効なアプローチでした。
みかんちゃん概念の左腕に “不法投棄禁止” の札を貼ってその上で山奥に捨てて来たいみかんちゃん概念
― KusaReMKN (@KusaReMKN) May 20, 2021
しかし、ここで念を押しておかなければならないことの一つに、その時点(2022-10 前)において外の人は概念という単語について特段の重きを置いていないことが挙げられます。 どうして概念がこんなに暴れ回っているのか、概念という概念をここまで爆発させるきっかけになってしまった人間は誰なのか、もう一度胸に手を当てて考え直す必要があると私は感じます。
あなたの概念は何色か
なるほど。 では、誰もが自分自身を俯瞰できる存在として、自分なりの概念を編み出すことは許されるとお考えですか? 例えば、VRChatter や VTuber は自分であって自分でないというスタンスで、または「かわいい」「かっこいい」ケモノや女の子、果ては男の子や男の娘になりたいという気持ちをもつことが往々にしてあります。 そういったもののアバターは、概念たる存在になり得ると思いますか?
はい、外の人は概念をそのように使うことをとても快く思いますし、それは素敵なことだと思います。 自分自身とは別に自分のなりたい姿を思い描き、それを自分なりの概念とすることはみかんちゃんの教えにも通ずるものがあります。
しかし、ここで同時に注意しなければならないこともあります。 それは概念と自分とのギャップに悩まされ得ることです。 実際、私も結構悩んでいますし、それが原因で気を病みそうになったことすらあります。
概念に自分のなりたい姿を投影することは良いことであると思いこそしますが、本当に健康な心身をもっているならば「自分であって自分ではない」と自覚するような自意識は正常でないように思います。
現状の自分自身を捨ててなりたい自分を得ようとせず、概念にそれを縋るということは、ある意味では自身の今の幸せを噛み締めているということの裏返しなのかもしれませんね。
本日は本当にありがとうございました。
はい、ありがとうございました。 なお、この会話は(あなたの発言をも含めて!)CC-BY 4.0 で利用できるものとします。 私も使います。
まとめ
概念はなりたい理想の自分を投影するものではなく、別人としての私を知るためのものである。
脚注
KusaReMKN がもつ概念として、みかんちゃんとさとりとがある。
KusaReMKN のこと。 概念であるみかんちゃんを中の人と定義したときに対となる存在として「外の人」と呼ばれる。 簡単にいうと、「概念ではない方」「社会生活を送っている方」。